生きてます!!!
お久しぶりです。
うちにようやく戻れました。
生きてま~~~~す!!!!
3月11日以来、社宅が危険だったため、
旦那ちゃんの会社の研修施設でお世話になってました。
部屋、シャワー、トイレ、TV、ランドリーと揃っていて、
避難生活といっても、
津波に遭い、家を流され、寒さと飢えにさらされていた方々とは比べ物にならず、
とっても贅沢で申し訳ないほどでした。
心配してくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。
連絡できなかったことお許しください。
研修施設のPCは使えても社用以外のサイトにアクセスできなかったので、
無事を伝えられませんでした。
ごめんなさい。
今回のことをどう伝えていいかわからないので、
とりあえず、以下は地震後しばらくして自宅からノートPCを持ち出し、
思い出しながら日記代わりにしばらく打っていたものを。
3月11日
ようやくパンフレットの構成の面倒な仕事が終わり、
今日から通常の暮らしに戻れる安堵感でいっぱいだった。
その時は「853」の再放送を見ていた
TVでピロピロと速報の音がした
地震の警報だった
「あ~地震も予測できるようになったのか」と思った。
するとゆる~く揺れ始めた。
だんだん揺り幅が広くなる。
家財で一番不安定なのはTVだ
TVのそばに行き、足を押さえて座った
どんどん揺れがひどくなる。社宅は古い。崩れるかもしれない
天井が落ちにくいのは部屋の隅だろうと思い、TV台にしがみつく
背後でいろんなものが落ちる音がする。
振りかえるとちょうどレンジが宙を飛んでいた
とにかく揺れが長い。棚から資料やCDが落ちる。PCラックもどんどん動いている。
PCが隙間から落ちないかはらはらしながらもどうしようもなく揺られるがまま
やっと終わったばかりのデータが入ってるのに~
何事も最中は長い。だけどほんとに長かったと思う。3分ほど揺れてたと思う
(後に聞くと震度6強、3分20秒揺れ続けたそうだ。)
頭の中は冷静だったけど心臓はけっこうバクバクだった
どうにか揺れが収まって振り返ってみると、何もかもひっくり返っていた
冷蔵庫が1mほど前に出てその上にあった下にレンジは転がっている
キッチンは引き出しが全部あいている
洗って伏せていた食器も調味料も全てシンクに落ち込んでいた
家の中に竜巻が入ったよう。
「片付け大変だな~」と思ってると、外で子供の声がした
あ、そうだ、逃げないと。余震が来るかもしれない
散らかった中、うちにある現金をかき集め、通帳、カードを探し出し、PHSを握り、大急ぎで外へ出た
社宅の奥さん、子供連中は建物から30m離れた車庫にいた
「大きかったね」「無事でよかったね」といいながらも呆然と揺れまくった社宅を眺めていた
誰一人ご主人と連絡がつかない。実家にも通じない
工場はちょっとの揺れでも緊急停止するから大丈夫だと聞いたことはあっても
何かの下敷きになったらひとたまりもない
みんな携帯を必死でいじっていた
あちこちでサイレンが鳴り始めた。火災か、怪我か・・・・
時折余震がある。そのたびに小さな子供は母親にしがみついていた
ひとりが「震度6、津波がきてるって」と妹さんと連絡がついたIさんが言った
「ここは山だから大丈夫だね」
しばらくするとまただれかが「みんな旦那は無事だって」
それでみんなとりあえず安堵した。
それで冷静になり、避難する場合を考えた
衣服、食べもの等取りに戻らなくては
社宅は階段口のアスファルトが崩れ、基礎が見えている
ぐるんと見渡すと建物の周りは陥没していた
ガス管が破損したのかガスのにおいがする
余震とガスの恐怖の中、それぞれの家庭が最低必需品を何度も取りに戻った。
我が家は幸い車内泊してもいいようにマットレスと毛布、寝袋は車に常備してあったので
もっぱら身の回り品。
靴下、下着、長袖のシャツ、ズボン等バッグに突っ込む。
ふとfaxに灯りがついた。
電気が復活したらしい。
受話器を取ったが、うんともすんともいわない。電話は不通のようだ。
だんなちゃんと私のそれぞれの充電機も詰め込んだ
そして車庫に戻る。他の奥さん方も何度かそれを繰り返していた
PHSがなった。義理の妹だった
電波状況は悪いがなんとか話せた。
ふたりとも無事であることを伝えた
つながらないので実家にも伝えてほしいと頼んだ
とりあえずこれで安心してもらえるだろう
うちにようやく戻れました。
生きてま~~~~す!!!!
3月11日以来、社宅が危険だったため、
旦那ちゃんの会社の研修施設でお世話になってました。
部屋、シャワー、トイレ、TV、ランドリーと揃っていて、
避難生活といっても、
津波に遭い、家を流され、寒さと飢えにさらされていた方々とは比べ物にならず、
とっても贅沢で申し訳ないほどでした。
心配してくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。
連絡できなかったことお許しください。
研修施設のPCは使えても社用以外のサイトにアクセスできなかったので、
無事を伝えられませんでした。
ごめんなさい。
今回のことをどう伝えていいかわからないので、
とりあえず、以下は地震後しばらくして自宅からノートPCを持ち出し、
思い出しながら日記代わりにしばらく打っていたものを。
3月11日
ようやくパンフレットの構成の面倒な仕事が終わり、
今日から通常の暮らしに戻れる安堵感でいっぱいだった。
その時は「853」の再放送を見ていた
TVでピロピロと速報の音がした
地震の警報だった
「あ~地震も予測できるようになったのか」と思った。
するとゆる~く揺れ始めた。
だんだん揺り幅が広くなる。
家財で一番不安定なのはTVだ
TVのそばに行き、足を押さえて座った
どんどん揺れがひどくなる。社宅は古い。崩れるかもしれない
天井が落ちにくいのは部屋の隅だろうと思い、TV台にしがみつく
背後でいろんなものが落ちる音がする。
振りかえるとちょうどレンジが宙を飛んでいた
とにかく揺れが長い。棚から資料やCDが落ちる。PCラックもどんどん動いている。
PCが隙間から落ちないかはらはらしながらもどうしようもなく揺られるがまま
やっと終わったばかりのデータが入ってるのに~
何事も最中は長い。だけどほんとに長かったと思う。3分ほど揺れてたと思う
(後に聞くと震度6強、3分20秒揺れ続けたそうだ。)
頭の中は冷静だったけど心臓はけっこうバクバクだった
どうにか揺れが収まって振り返ってみると、何もかもひっくり返っていた
冷蔵庫が1mほど前に出てその上にあった下にレンジは転がっている
キッチンは引き出しが全部あいている
洗って伏せていた食器も調味料も全てシンクに落ち込んでいた
家の中に竜巻が入ったよう。
「片付け大変だな~」と思ってると、外で子供の声がした
あ、そうだ、逃げないと。余震が来るかもしれない
散らかった中、うちにある現金をかき集め、通帳、カードを探し出し、PHSを握り、大急ぎで外へ出た
社宅の奥さん、子供連中は建物から30m離れた車庫にいた
「大きかったね」「無事でよかったね」といいながらも呆然と揺れまくった社宅を眺めていた
誰一人ご主人と連絡がつかない。実家にも通じない
工場はちょっとの揺れでも緊急停止するから大丈夫だと聞いたことはあっても
何かの下敷きになったらひとたまりもない
みんな携帯を必死でいじっていた
あちこちでサイレンが鳴り始めた。火災か、怪我か・・・・
時折余震がある。そのたびに小さな子供は母親にしがみついていた
ひとりが「震度6、津波がきてるって」と妹さんと連絡がついたIさんが言った
「ここは山だから大丈夫だね」
しばらくするとまただれかが「みんな旦那は無事だって」
それでみんなとりあえず安堵した。
それで冷静になり、避難する場合を考えた
衣服、食べもの等取りに戻らなくては
社宅は階段口のアスファルトが崩れ、基礎が見えている
ぐるんと見渡すと建物の周りは陥没していた
ガス管が破損したのかガスのにおいがする
余震とガスの恐怖の中、それぞれの家庭が最低必需品を何度も取りに戻った。
我が家は幸い車内泊してもいいようにマットレスと毛布、寝袋は車に常備してあったので
もっぱら身の回り品。
靴下、下着、長袖のシャツ、ズボン等バッグに突っ込む。
ふとfaxに灯りがついた。
電気が復活したらしい。
受話器を取ったが、うんともすんともいわない。電話は不通のようだ。
だんなちゃんと私のそれぞれの充電機も詰め込んだ
そして車庫に戻る。他の奥さん方も何度かそれを繰り返していた
PHSがなった。義理の妹だった
電波状況は悪いがなんとか話せた。
ふたりとも無事であることを伝えた
つながらないので実家にも伝えてほしいと頼んだ
とりあえずこれで安心してもらえるだろう
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